太陽の塔

「私は日本芸術の最高傑作だと思う!」
妻の一言で、次の日の予定は決まりました。
私は大阪に単身赴任しています。かれこれ3年近くになりますが、先日初めて、妻が大阪に遊びにきました。さて、行き先に希望はあるかと、いくつか候補を挙げて尋ねてみた中で、彼女がピンと反応したのが万博記念公園の太陽の塔でした。その時の彼女の一言が先の言葉です。
この反応は意外でした。私にとって太陽の塔は「何がいいのかよく分からないもの」でした。僕以外にもそう思ってる方少なくはないのではないでしょうか。特に万博をリアルタイムに経験していない人には近い感覚があるのではないでしょうか。
行くことが決まるや否や彼女は太陽の塔について調べ始めます。彼女の調査力から僕もただ見るから良く観るに変わっていくことになりました。

太陽の塔
高さ70メートル、基底部の直径20メートル、腕の長さ25メートル
未来を表す「黄金の顔」
現在を表す「太陽の顔」
過去を表す「黒い太陽の顔」
内部には「生命の樹」(生物の進化をテーマにした展示)
地下には「地底の太陽」
1970年に大阪万博のテーマ館の一部として作られました。作者は岡本太郎。当初は万博終了後に解体される予定でありましたが、撤去反対の署名運動により1975年に永久保存が決定されています。その内部は万博後から非公開とされていましたが2018年再び公開されるようになりました。

ここで、改めて驚きですね。撤去反対運動が起こったのですね。それほどにインパクトを残す作品であったのですね。あの造形のどこにそれほどの魅力があるのでしょうか。たまたまですが、私たちが太陽の塔を見に行った1週間後にNHKで太陽の塔の特集を放送していました。当時を振り返る映像の中で、子供たちに万博の思い出を絵にしてもらったら、ほとんどの子が太陽の塔を描いたのだそうです。人々の心に強く訴える何かがあったということなのですね。

その完成までの道のりにも多難のドラマがありました。
万博開催の3年前のこと、岡本太郎の元に万博のテーマ展示プロデューサーの依頼が届きました。万博のテーマは「人類の進歩と調和」、「技術と産業の進歩が人類を幸せにする」。1970年の日本といえば高度経済成長期の真っ只中で当時はアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国でした。まさに日本の技術立国としての威信をかけた国家プロジェクトであったということです。 しかしながらこのテーマに一石を投じたのが、テーマ館のプロデューサーである岡本太郎自身でした。技術の進歩をテーマがテーマでありましたが、岡本自身が立ち上げたものはどこか原始的で土偶のような建造物でした。しかもそれは、すでに設計がまとまりつつあった、お祭り広場のシンボル「大屋根」を突き破る大きさで作ると言い放ったわけです。当然各方面からの反発があり、代案なども提示されたそうですが、岡本太郎はどれにも応じなかったそうです。

岡本太郎の第一印象は「芸術は爆発だ!」の一言。私の中で岡本太郎はそれほど多くの情報は持っていませんでした。芸術家の方の多くがそうであると思うのですが芸術家として自分の道を切り開くことに多くの努力をされていらっしゃいます。

単身パリに渡り、芸術を学びつつも、哲学、民俗学と探究心の幅は広がっていきました。約10年のパリでの活動の中で岡本太郎の芸術観の基礎は作られたのだと思われます。
「芸術は商品ではない」
「芸術は無償、無条件であるべきもの」
「芸術とは全人間的に生きること」
日本に帰国してからは戦争で徴兵され、東京青山のアトリエは焼け野原となり、多くを失うところからスタートすることになりました。活動再開後、日本の芸術界に挑戦するような発言と作品を発表し続けました。
「これからのアヴァンギャルド芸術の精神には、非合理的な情熱のロマンティスムと、徹底した合理的な構想が、激しい対立のまま同在すべきである。この異質の混合や融和を私は考えない。二つの極を引き裂いたまま把握する」

一方で「日本のオリジン」「日本の原風景」の研究にも傾倒していきます。かの縄文土器から美術的価値を見出し、それまでは研究対象でしかなかった土偶を美術品として世に認知させてしまったことは有名な話です。
このような岡本太郎の芸術家としての精神が、万博のテーマを考える上で素直に人類の技術の進歩を賛美することを良しとせず、「人類の進化根源に立ち返って考え直せ」とあえて対極する観点をそこにぶつける考えをとったのだと思います。内部には生命の樹が人類の進化を表現し、地上の3つの顔は「過去」「現在」「未来」を見据える眼差しを表現しています。それも得体のしれない造形で。誰しもの脳裏に強く残ったことでしょう。

それにしても太陽の塔の総工費は約6億3千万円。テーマ館全体では約25億9千万円で、テーマ館の予算の役¼をこの1棟に使っています。大屋根に至っては約28億円です。(全て当時の価格)後世に語り継がれる太陽の塔と大屋根の建設論争ですが、一個人の強い思いだけで成し遂げられとは思えません。大屋根の設計者でもあった丹下健三の強い後ろ盾を得ながら、極めて政治的に動きもあったのでしょう。もしかしたら時代も寛容だったのかもしれません。いずれにしても岡本太郎の芸術家精神が国家プロジェクトレベルで形となったことは大変な偉業と言えると思います。

万博公園で私の前に立つ太陽の塔はなんとも強いメッセージ性を放っていました。試合開始前から私はすでにこの塔に飲み込まれていたわけです。その後はまんまとその世界観に引き込まれていくだけです。
そして我が家にも小さな分身がやってきました。さて皆さんにはこの造形がどのように映りますでしょうか。